" TOKIKAI GLADIATOR'S "
H.MATSUSHITA No.15【1971・東京都出身】
チーム創設者。弱小、伊興中から、当時、公立高校強豪、関東大会に2度の出場を果たしてた都立足立東高校へ進学。高校ではMBでCP、ベスト6(足立区)、都ベスト16、関東大会本予選出場。創部からCPを続ける東輝会の屋台骨。二十歳、日体の先輩と" popeye's "でも、世田谷・目黒区でも活動。
発足当時、足立区の連盟は1部〜4部まであり、そこでも順調に1部まで昇格。しかし、優勝までは数年を要したが、実業団チームに勝利したり、全国大会へ3度の出場を経験するまでにチームを成長をさせた。現在もプレーヤーとして一般男子の大会へ出場、その傍ら、足立区家庭婦人『羽ばたけクラブ』でコーチとして指導中。
S. NOHARA No.17【1968・東京都出身】
学生時代は、強豪の花畑中のエースをつとめ常勝チームを牽引。高校では公立高校にもかかわらず、都ベスト8、都立校大会優勝、関東大会出場などの実績。支部大会決勝では、春高常連校の東洋をフルセットあと一息で勝利するまで追い込んだ(当時、東洋のエースは春高女子5連覇『東九州龍谷の相原昇監督』)。
チーム2番目の年長者で、仕事に家庭に怪我に多忙ながらも、練習、試合は、ほぼ欠かさず参加。バレーボール45年目の" バレー狂司郎 "(笑)。セッターが卒業し、MBからMSにコンバート。年齢に抗いながらコツコツと精進と努力を惜しまない、不屈のバレーボールマン。
E.MINOSHIMA No.29【1974・東京都出身】
荒川工業在学中に友人(益子直美の親戚)たちと、荒川・平和会バレーボールクラブの練習へ参加。学生時代は水泳部に在籍。学校の部活動でのバレーボール経験はないが、修輝会や平和会の練習、試合に参加し、今では生粋のバレーボーラーである。
現在、東輝会1974年組のメンバーそしてチームの会計係。練習熱心。イベントアンバサダー。ポジションはWS兼LB。ボールへの執着心はチームNo.1。守備の要として、彼の実力UPを更に期待。『バレーと出会い、バレーが好きになり上手くなりたいと頑張る事で道が開ける。未だに発展途上』今は、接待ゴルフとPTAバレーに多忙なご様子。
H. ITO No.12【1974・埼玉県出身】
新座市出身、実家隣には機動戦士ガンダムの原作者『富野由愁季』が隣人(娘は同級生)。高校、大学ではWS、青学バレーボール部のエース。全盛期は跳躍力は1mを越え、低身長にもかかわらずバスケットリングを両手で軽く握るJUMP-MAN。当時は、相手ブロックの上からスパイクを打ち込んでいた。
ここ最近、心を入れ替えたか?週に一度は練習に参加し、チームに協力的になった。昔より跳躍力は落ちたものの51際になる現在もバスケットゴールは握れます(ニコ)。チームの全国大会出場の原動力にもなった一人である。いまも、東輝会には欠かせないプレーヤー。
K.NAOI No.4【1966・東京都出身】
足立東高校7期生。チーム最年長。高校、大学〜クラブチームと一貫してWS、チームのエースとして活躍。大学卒業後、クラブチーム" 中川クラブ "で早稲田大学の同好会の先輩と足立区で一時代を築き墨東五区大会などで暴れた。 年齢は58歳だが、己が限界にチャレンジするためウルトラマラソンの大会に参戦中。
中川クラブ解散後、数年の潜伏期間を経て高校時代の後輩のチームのALL花畑で復帰し再びバレーボールに情熱を注ぐ。現在もWSとして活躍、同い年の現役サッカー選手" キング・カズ "に負けじと身体を酷使し、終わりなき己への挑戦を続ける不屈の漢である、まさに鉄人。チームメンバー達の、大きな目標だ。
T.KIMURA No.14【1971・東京都出身】
足立東高校12期生。高校ではバレーボール部の顧問にスカウトされるも辞退。しかし、松下と2〜3年と同じクラスになり昼休みのバレーが日課に。そして球技大会で先輩チームなどを撃破し2連覇を経験、バレーボールの楽しみを知り卒業後に同期のYと平和会VBCへ。平和会のMBとして荒川区6人制一般男子で活動を開始。
現在は、荒川区バレーボール連盟会長を務め東輝会のMBとしてチームを牽引。187cm。修輝会時代、2度目の全国大会大阪なみはやドーム戦で、京都代表と対戦したときは何かが降たか?鬼神のようなブロックを連発し、チームの勝利に大きく貢献した…あの素晴らしいブロックを、もう一度。
S.HASEBE No.7【1973・東京都出身】
足立東高校14期生。高校時代からエースでCPとして活躍。バレーセンスはチームNo.1。足立区では、同期等と" 翔龍会 "で長年活動したが、2013年度を以て解散。2014年度からは、東輝会の真メンバーとして足立区でも合流。以前から、足立区以外の大会では同チームメンバーとして各大会で共に奮戦。
修輝会、設立当初から参加する最古参のメンバーの1人。チームのOPであり、勝利の原動力として頼れる存在。負けず嫌いは、彼のバレーボールの原点。最近は仕事が忙しく練習量は皆無に近い。もっとチームの要として東輝会をもりあげ牽引して欲しい男なだけに、年齢に抗いバレーボール人生を謳歌して欲しい。
Y.SHISHIKURA No.69【1974・東京都出身】
修徳高校-野球部からバレーボール部に転部、WSとして活躍。専門学校ではエースを務め活躍。社会人になり同級生等と共に" 闘虎会 "で足立区の連盟で活動。数年間活動するも、仕事などでメンバーの脱退があいつぎ余儀なく解散、友人の紹介で" 修輝会 "へ加入。
修輝会で数年間の控え選手時代を経、実戦経験を重ね次第に頭角を現す。現在OP級のポテンシャルは持つが、いまひとつ出し切れていない" 未完のサウスポー "。彼の活躍次第でチームの戦況は左右されるほど影響力は大きい。プレーの波が大きく、自身で波に乗ってくれればこれほど頼もしい存在はいない。眠れる獅子(宍)の覚醒に期待だが、いつまで待てばいいのやら!
A.TANAKA No.11【1973・東京都出身】
都立足立高校バレーボール部出身。足立高校は、ビートたけし、浅野温子も卒業生として足立区では有名な公立高校。長年、足立区、墨田区と翔龍会で活躍。2014年度、チーム解散を機に長谷部と共に東輝会に合流。現在は、東輝会のLibero、WS、オールラウンダー?として精進中。
つかみどころのない性格は、彼の真骨頂?人見知りは激しいが、明るくひょうきんな一面も持つ『お調子者』が実は彼の正体かも?バレーボールへ対する情熱は、目を見張るものがある。昨年、新天地〜北海道へ移住。まだまだ、バレーをエンジョイしているとのこと。
N. YOSHIKAWA No,不定【1988年、東京都出身】
近日公開
身長180cm 職業Dr. ポジション MIddle Blocker.
K.Okano No,不定【1990年、東京都出身】
近日公開
身長165cm ポジション Libero .
R.Ohzawa No,5【2000年、愛媛県出身】
近日公開
身長172cm ポジション Libero .
TAKEMI SUZAWA No,9【1974年、東京都出身】
都立足立西高校バレーボール部。高校時代からバレーボールを始め、センタープレヤーとして活躍。高校卒業後、同校同級生等と共に立ち上げた"闘虎会"で活動し、足立区、北区などの大会に数年間参戦した。
闘虎会の解散を機に、東輝会に参加。サーブの思い切りの良さは定評あり。ピンチサーバーとしても活躍、ここぞと言うときに高確立でエースを連発。三年間の潜伏期間を経て、2018年初夏に謎の復帰。鈍った身体を磨きあげろ!
T.OHMURO No.8【1990・東京都出身】
千葉工業大学6人制バレー部、足立区9人制某バレー部で計7年間の経験を経、東輝会へ入部。生真面目な性格は、車のハンドルのように少し遊びが欲しい。バレーへの情熱は、今はチーム1かも知れないほど他チームにも足を運び、練習、試合、ボールに触れる時間も1番。
タカシとの出逢いは、1人の青年の紹介。名前は、寝間くん。沖縄県出身で、長身のサウスポー。タカシもサウスポー。その彼は、2年前に練習中に心臓発作で他界、享年30歳。その彼の紹介と言うこともあるが、寝間くんの分まで存分にバレーボールを楽しんで欲しいと念願する。汗は嘘をつかないはずだ、頑張れ!
T.SUZUKI No.2【1970・東京都出身】
足立東高校11期生。渕江中-足立東高校。足立区の古豪、渕江中のエースとして活躍。高校では、同期に他中学校のライバルたちが偶然集まり、人数こそ少なかったもののメンバーには恵まれ、都ベスト16、関東大会本予選出場。支部大会で唯一、東洋高校を追いつめた。
専門学校卒業後、就職〜栃木県真岡市へ、仲間とは疎遠に。数年後、東京に戻り東輝会(修輝会)でバレーを再開。レシーブの実力はチームNo.1、努力の男。現在は、体調不良や仕事多忙を理由に戦線から離脱、本人いわく『辞めてはいない!』との事で休部中らしい。本腰を入れ、いつの日か復帰してくれればチームのディフェンス力が上がることは間違いないが、復帰すんのか…?
H.YAMANAKA No.0【1969・東京都出身】
都立足立西高校ラグビー部OB。高校卒業後、母親の影響でバレーボールを始めた。もともと運動神経はよく、それほど苦労もなくバレーボールも上達。平和会のキャプテンでレフトをつとめ活躍した。一時期、仕事で北海道に転勤になり、数年間バレーボールから離れるが、転勤終了とともに地元荒川区にもどり活動再開。
現在も、仕事多忙のため、練習や試合には、時々の参加しかできないがサポート役にまわり、マネージャー的な仕事を率先してこなしてくれる。試合でも人数がたりないときは、プレーヤーとして思いとうらはらに現役を退けないでいる。いつまでも仲間思いの" ナイスガイ "チームにとって頼りになる男だ。
M.OHISHI No.23【1967・東京都出身】
東洋高校-亜細亜大学。■春高第16回大会(1985年)東京体育館から国立代々木競技場へ舞台を移して行われた大会。東京都予選決勝で東亜学園をストレートで下し、東京第一代表で出場したときのMB。数年間休部〜彼は、永久に休部するつもりだろう…。
優勝校:習志野 202cmの大竹秀之を筆頭に、平均身長187cmという大型チームの法政二が優勝候補筆頭。これを蔭山弘道を持つ習志野と技の東亜学園 、東海大四が追った。事実上の決勝といわれたのが準決勝の習志野対法政二。 200cmの蔭山をセンターに据え、相手エース菅野幸一郎 (現・東レ女子監督)と勝負させたのが奏功し、フルセットの末逆転勝ち。初優勝を飾った。















